史跡(民俗)

ふるさとの風景  佐伯地方の史跡

佐伯氏の居館跡に建つ愛宕神社の神殿

栂牟礼城の麓の引地にあった佐伯氏の居館跡に建立された

佐伯氏菩提寺・龍護寺の佐伯惟真の墓

佐伯惟教の嫡男であり最後の当主佐伯惟定の父、九州の関ケ原といわれる薩摩との耳川戦で父惟教とともに戦死

神内釈迦堂石幢

赤木川が久留須川に合流する場所にある、かつての交通要衝地

小倉磨崖石塔(保全行き届かず)

佐伯氏が造立、民家の裏庭の側にひっそりと佇んでいる

粟嶋神社(懐良親王の上陸一歩の岩)

紀伊粟嶋神社を勧請(海難回避、懐良親王臣下渡辺氏定住)

田野磨崖仏

佐伯地方唯一の磨崖仏

千代鶴自刃の塚

佐伯惟治の嫡男、惟治自刃の報に自らも命を絶つ、9歳

栂牟礼城本丸跡(保全が待たれる)

佐伯氏の城跡、明石秋室の栂城訪古歌の説明板も倒壊したまま

栂牟礼城址堀切

見事な堀切の連続(但し崩落途上にある)

天徳寺にある大友宗麟墓

臣下が津久見より佐伯に持ち去り弔う、尾浦を開拓(檀家が今に続く)

波越・常楽寺(崩落寸前)

佐伯惟治に縁のある寺(御戸帳の金襴が惟治の陣羽織)

十三重の塔

鎌倉時代に造立、佐伯氏の供養塔とみられている(土地造成を理由に移転)

梓峠(日豊国境)

官道、日向街道が通る日豊第一の峠、明治期に廃道(古くは大友宗麟、島津家久、豊臣秀長、藤堂高虎、島津家久、近くは徳富蘆花も越えて行った)

見明峠(佐伯藩国境)

幕府巡察使も通った佐伯藩の主要街道(岡藩との国境)

床木街道跡(保全すべき江戸期の主街道)

佐伯藩主要街道(参勤交代にも利用、細川藩飛び地鶴崎より乗船)

日向街道・黒沢登口(陸地峠へ)

黒沢地蔵尊の裏手から登る、日向北川への街道

日向街道・黒土峠(明治期の記念碑跡)

西南戦争の合戦地、峠には堡塁跡が多く残る

(林道開通と共に旧道は山中に埋没)

ルイサの墓

県下最大のキリシタン墓(岡藩士渡辺氏の娘との伝承)

中ノ谷峠(佐伯藩国境)

文人墨客も越えて来た道(広瀬淡窓、国木田独歩、等)

日豊本線が開通するまで日豊の主要路(難所)

鶴見半島に残る切支丹墓

鶴見半島には切支丹伝承が多い、佐伯藩最後の切支丹が火刑

佐伯城址北出丸の石垣(崩落の懸念)

佐伯城の中でも見応えのある石垣

毛利氏奉納・御座船絵馬(住𠮷神社)

参勤交代に使用した船が詳細に描かれている

佐伯藩登城太鼓(住𠮷御殿)

江戸期に時を告げた太鼓(上がり框にひっそりと)

天領堅田の交易基地・柏江港跡

天領の物産の積出し港

毛利高政の弟吉安が2千石を知行、お家騒動で幕府に献上し天領


杢衛門の供養塔

佐伯藩最大の百姓一揆の主導者(番匠川で斬首)

鶴見半島の段畠跡

尾根まで石垣が組まれている大遺構、しし垣がこれを囲う

水の子島海事資料館・渡り鳥館

渡り鳥の剥製の種類の多さに圧倒される、貴重な資料

長昌寺(西南戦争官軍指揮所)

谷千城、児玉源太郎も滞在

東光庵

国木田独歩も通った樹齢数百年の塩釜桜がある

十三重塔

元々は左手の丘の上に立っていた

九仭塔

古代から立っていた十三重塔(地元では九仭塔と呼ばれてきた)

(写真:三浦仁氏提供)

摂社石槌神社(本匠波寄)

石槌信仰の霊山に祀られている、御神体は三体と西日本でも稀な由緒を持つ

三国峠(境界石)

律令時代の官道として、江戸期の日向街道として、岡藩、佐伯藩、臼杵藩を分かつその峠道の境界石。

風戸山寺屋敷跡